みんなが笑顔になる呪文

 今回仏語で発表しようと思ったのは、8ヶ月前の前回のミーティングで発表したリーダーが「次回はジョーが仏語で発表します」と勝手に聴衆にアナウンスしたのがきっかけ。半分冗談だったのだろうけど、僕が英語で発表するのと仏語で発表するのでは聴衆の反応がだいぶ違うだろうということは想像できた。一般にこの国では仏語を喋れない人間は無能扱いされると言っても過言ではない。で、本番の2日前に喋り原稿を作り、前日にリーダー含む同僚3名の添削や発音指導を受けて決定稿とし、それを元に自分で発声練習(ちなみにリーダー本人さえも「えっ仏語で喋るの?」と驚いていた)。
 原稿には抑揚を線で書き表したり、迷いそうな発音をカタカナで記したりして万全を期す。抑揚って大事よね。何語であろうとヘンな抑揚で話したら嘲笑の的になる。自分の仏語能力ではとくに、普通に音読しているとどう上げ下げするか迷う箇所が少なからず見つかる。それらの1つ1つについて熟考して抑揚を決めて行った。France2 のニュースのキャスターやレポーターならどんなふうに読み上げるだろう、と想像しながら。

 そんなこんなで7〜8分間、仏語で無事喋り終える(この長さは初)。結局、原稿を手に持って見ながら喋るというみっともない方法を取らざるを得なかった。他の発表者たちはニュースキャスターよりずっと早口で、内容も充実している。それと自分のを比べると、ピアニストのリサイタルと5才の子のピアノ発表会くらいの違いがあったろう。喋り終えたあとは脱力感と恥ずかしさに襲われていた。
 ところが、セッションが終わったとたんに誰もが「素晴らしかった」「完璧だった」と賞賛してくれた。特にいつぞや僕の仏語の話せなさを笑っていた教授Dが「おめでとう」と激しく握手を求めてきたのが印象的だった。原稿読みながらだったのにどこが素晴らしいの?という自嘲と、たとえ自分にとっては呪文のような意味不明な文章でもそれなりに発音が正しければ聴衆は暖かく受け入れてくれるんだなあという感動が、心の中でないまぜになった。

 僕が今まで人前で仏語を話す機会があまりに少なかったので、同僚の皆さんには意外性が大きかったのだろう。職場にはいろんな国の人がいて、その多くはちゃんと仏語を学んで完全に話せるようになってから来ている、そういう人々が仏語で褒められることは一度も無いことを忘れるべきでない。今日の僕は、初めての発表会で『きらきら星』を弾いた5才の子が「よくできたね〜」と褒められているようなもの。次回は『きらきら星』では済まされない。仏語で原稿を見ずに喋るか、英語に逃げるか、2つに1つ。
 そうは言っても今日のは成功体験には違いなく、仏語学習の motivation をもらったのは確か。この作業を日常的に繰り返せば仏語が上手くなれるはずだ。辛いけど。