パブコメ

 締切2日前になってしまったけど、送信しました。

 話そう”エネルギーと環境のみらい”

 本文は制限ギリギリの 2500 字になってしまった。こんな長い文章、担当者は誰も読まないんじゃないかという気もするので、せめて陽の目を見るよう当日記にも載せておきたい。でもやっぱり恥ずかしいから要約だけ表に出して、本文は収納。やれやれ。
 締切は8月12日18時とのこと。皆さん奮って投稿しましょう。(自分が済んだからって偉そうに!)

[意見の概要](100 字)

ゼロシナリオを支持。理由:1)原理的に大事故リスクはゼロにできない。2)経済成長の継続はいずれ破綻を招く。3)当面の電力は火力・水力発電でまかなえる。4)15シナリオでは将来ゼロになると確信できない。

[意見及びその理由](2500 字)

 ゼロシナリオを支持する。以下に、その理由をいくつかの項目に分けて述べる。

1)原理的に大事故リスクはゼロにできない

 自然現象には人類の英知を超える部分が永遠に存在する。いかに厳重な安全対策を原子力発電所に施したとしても「想定外」の自然災害が起こる可能性は無くならない。複数のプレート境界の真上に位置する世界有数の地震大国・日本に原発を置くことの危険が甚だ大きいことは、誰の目にも明らかである。また、人間は本来ミスをする生き物であることも忘れてはならない。状況が予想外であればあるほど、人的理由により被害が拡大することは、昨今の福島第一事故報告書で明らかにされた通りである。大地震と人為的ミスの複合的災害によって福一と同等かそれ以上の放射性物質放出事故が起こる危険性は、努力によりゼロに近づけることはできても、ゼロにすることは原理的に不可能である。推進派も反対派もまず、この共通認識を持たなければ議論を先に進められない。
 それを踏まえれば、原発を使い続ける(A)のか、もしくは完全に脱する(B)のかという問いは、すなわち「大事故リスクを認識しつつ経済成長を追求する」(A‘)か「経済成長は二の次にして安全を選ぶ」(B‘)かという選択肢に突き詰められる。A’とB‘の違いの根底は「太く短く」か「細く長く」かという未来観の違いであり、A’とB‘のいずれの考え方にもそれぞれ一理ある。逆に言うと唯一の絶対正義なるものは存在せず、将来どちらの方針が採用されるかはひとえに、どちらの側の声が大きいかで決まる。

2)経済成長の継続はいずれ破綻を招く

 私が(A‘)でなく(B‘)を支持する理由は、「経済成長は永遠に続くものではない」と考えるからである。
 ローマクラブが『成長の限界』で指摘したように、物質資源・国土が有限であることを考えれば人口が無限に増加することはあり得ない。同様に経済も、世界全体で無限に成長し続けることはない。
 しかるに現在のアメリカ型資本主義社会は、成長の継続を前提とした構造になっている。しかし一国の経済成長は他国の衰弱を伴う。成長を前提とした資本主義は、自国の繁栄のみを追求し、世界平和を二の次にしている。このシナリオがいずれ破綻することは自然の理である。安定に末永く世界を存続させたければ、人口も経済指標もある度合に収束させるようコントロールする必要がある。まずは日本が、アメリカ型成長経済社会から軌道修正し、安定経済社会へ舵を切るべき時に来ていると思う。
 原発を維持すべしとする主張は、成長の継続を前提にしている。安定経済社会と良く整合するのは脱原発政策のほうである。

3)当面の電力は火力・水力発電でまかなえる

 全ての原発は、総電力供給量の調整のため、同じ出力の火力発電(バックアップ発電)設備とセットになっている。すなわち、たとえ現時点で原発をゼロにしても電力が絶対的に不足する事態は起こらない。もちろん将来は、人類は有限な化石資源への依存度を下げる必要があり、そのため太陽光・風力・地熱エネルギー等の利用技術開発に最大限に力を注ぐことが望まれる。しかし今後20年は火力・水力を主幹エネルギーとして用いることが現実的である。
 なお、CO2削減は焦眉の急ではない。地球温暖化の原因を大気中のCO2増加のみに帰着させる言説が有力であるが、H2Oのほうが主たる温室効果ガスであることを無視すべきでない。気温上昇と大気中のCO2増加が歴史的にほぼ同期している事実だけでは、CO2犯人説の根拠として十分でない。CO2を出さないという理由で原子力を選ぶのは説得力に欠ける。

4)15シナリオは将来が不透明

 私は今すぐに原発をゼロにすべきだとは考えない。急激な変化は産業界には打撃となる。原発は40年で廃炉になるから、新規建設をしないだけで自動的に原子力エネルギーが徐々に削減されて2035年頃にほぼゼロになる、という言説は適切な指針だと思う(むこう20数年間は大事故リスクを持ち続けることになるが、産業界への打撃とのバランスを考えて許容する)。40年廃炉原則に従った原子力エネルギー推移予想のグラフを見ると、2030年の数字はむしろ15%に近い。
 にもかかわらず私が15シナリオを支持できない理由は、2030年以降にゼロへ落として行くかどうか確信が持てないからだ。政府は、原則40年廃炉のルールに最大60年まで延長可とする例外規定を盛り込んだという。これでは脱原発に対する現実味が感じられない。よって、示された3つの選択肢の中では、安心して選べるのはゼロシナリオしかないことになる。ゼロになる時期が当初の想定よりも5年早まるが、たとえば(もちろん原発の新規建設はしない前提で)現行の40年廃炉原則を35年に縮めれば、自然に2030年にほぼゼロが達成できる。もとより40年間は安全であるとか、承認を得れば60年まで大丈夫であるというのも、100%確かな話ではなく確率論にすぎない。

結言:日本の脱原発選択は世界へのメッセージとなる

 「こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。…しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」(『あたらしい憲法のはなし』文部省、1947年)
 その後、世界の他の国々では大小さまざまな戦争や核の脅威が続く中で、日本は今に至るまで平和憲法を遵守している。これは日本の強い信念によるものだと思う。
 いま脱原発を宣言し実行に移すことは、平和憲法を保持するのと同程度に大きな意味を持っている。福一事故以後も多くの国では原発を運用し続け、あまつさえ増設しようとしており、それは日本には産業的に脅威と映る。しかし我々は正しい事をしているのだという強い信念が不安に打ち勝つはずだ。理想的な未来社会のモデルを、我が国が世界に提示することができれば素晴らしい。

以上