日本はまだあるか?

原発:40年廃炉、一転「60年」容認へ 政府が方針毎日新聞

 目の前が真っ暗になるようなニュースだ。原発については私は段階的脱原発を支持しており、「原子炉の寿命は 40 年だから、今後新しい原子炉を作らないだけで 40 年以内に脱原発できる」という田坂広志氏らの考え方に賛同している。ただそんな希望的観測の裏で、原発を推進したい政府は強引に新原子炉を建設するのも厭わないのではないか、という不安も感じていた。そこへ来て原発の使用年数のほうを引き上げるという方針。政府は原発をやめる気ゼロだな、と改めて痛感する。

 延長の考え方は米国を踏襲したもの。米国では法律で認められた40年の運転期間の後、交換困難な機器類の劣化対策を確認し、原子力規制委員会の許可が得られれば、最長20年の延長が何度でも認められる。同準備室は「国際的な動向を参考にした」と説明する。

 国際的な動向を言うなら、世界の原発の平均寿命は 22 年じゃなかったですか? 米国では延長できるというが、そもそも米国の言いなりで日本がここまでやってきたせいで福島の大事故を招いたのではないですか? 自分はいまは原発を続けるのも止めるのも、どちらが絶対的に正しいとは言えないと思っていて、だからこそ為政者はどちらの意見も尊重して真剣に考えるべきだと信じているが、やみくもに原子炉の使用年数を延ばそうとする姿勢はあまりに露骨に推進側に偏っているとしか見えない。

 これ、以前から書こうと思いつつ先延ばしにしてしまったけど、原発国民投票を求める市民団体が手始めとして「都民投票」「大阪市民投票」を実現するべく署名を集めていて大阪市では先頃めでたく目標の数の署名が集まったとのこと。東京都では引き続き募集中で、2月9日までに約 22 万筆を集めなければならない。署名できるのは東京都民で選挙権を持っている人に限られる。
 私はかねてより原発国民投票をやるべきだと考えていたから、この団体にも少しばかりのカンパをして賛同人に名を連ねさせていただいている。で、先月帰ったときに署名しようと思っていたのだけど、よく考えたら住民票が日本にないので残念ながら署名の権利がなかった。でも池袋の町を歩いていた時に署名集めの現場に遭遇して、一緒にいた私の母が署名してくれたので少しだけ肩の荷が下りた。

 投票を求める運動は、反原発運動とは違う。賛成の人も反対の人も投票で意思表示をしましょうということ。
 いつも書いているけど、今の日本人は国からひどい目に遭わされても怒らなさすぎる。国民の声に政府は耳も貸さず、民はますます政治に関心を失い、その結果として民に優しくない政治が返ってくる。悪循環である。先頃の世論調査で「支持政党なし」という回答が 50% を占めていたそうだ。国民と政治の乖離はどうしようもないところまで来ている。
 住民投票は政治を動かすきっかけになりうる。今まで国はどうやっても変わらないとあきらめていた人々にも、投票をきっかけにもう一度関わってみようという機運が戻ってくるだろう。「衆愚政治」「深く考えない民衆に権利を与えるべきでない」という意見もあるが、逆に投票が行なわれることになれば以前よりも建設的な意見がたたかわされ、誰もが真剣に問題を考えるようになるはず。日本が民主主義を取り戻す最大のチャンスがやってきている、と言っていい。

 自分は昨年3月の地震の揺れを体感していないけれど、甚大な災害が刻一刻と広がる様子をインターネットのみでしか知る事が出来ないのはそれはそれで辛いものだった。9月に一時帰国で成田の地を踏むまで、ひょっとしたらネット情報は全部虚構で、じつは日本の国土はもう存在していないのではないかという気さえしていた。
 民が政治に関心を失い投げやりになってしまったら、国は死んだも同然だ。「日本はきっと立ち直る」と多くの人が言ってくれているけれど、その必要条件は日本人自身が国に働きかけて行くこと。自分が安心して帰れるような国であるために、都民投票、国民投票が実現することを切に願っている。