アメリカとのつきあい方

 原発問題にとって代わったように、TPP 交渉参加の是非の議論が活発になっておりますね。TPP 自体はトータルでは日本にとって損でしかない、米国が日本を食い物にするためのもの、という反対派の意見は真理だと思う。なのになぜ推進派が交渉を進めたがっているかというと、強者のご機嫌をとっておかないと後が怖いからに他ならない。米国が強者で日本が弱者なのはイヤだけど否定しようが無い事実。規模は違うけれど、Amazon が日本の多くの出版社に電子書籍への参入を迫っている件も、幕末に黒船が来て開国を迫った時も、米国が日本を取り込むときはいつも方法が類似している。一方的に自らに有利な条件を提示し、期限を決めて回答を迫る。そんな無茶を堂々とできるのは圧倒的な産業力や軍事力の差を自負しているからだろう。

 じつは原発問題にも共通する話であり、不思議に巷ではあまり語られないけれど、1960 年代の原発の導入やその後の高速増殖炉の推進政策はアメリカの意のままに日本の政界が動いていたという面が大きかったのだ。これは期限つきで回答を迫った不平等条約という話ではないにしろ、強引なやり方で日本の国策を誘導した点は同じ。3.11 後の今も推進派であり続けるわが政治家たちの思惑が単に自分らの既得権益だけにあるとは考えにくく、米国の影響力が未だに強いのだと推察せずにおれない。
 TPP などという不平等な取り決めは撥ね付けたいのはやまやまだけれど、米国との関係を悪化させずに NO と言うことができるのか。難しい。答えは簡単には出ない。


(早朝、トゥール → オルレアン間の車中から 11.10.20)

 しばらく前からそんなアメリカと日本の関係について漠然と考えていた。同じ土俵で真っ向から対立したら勝ち目は無い。そこで表向きは味方のような顔をしてうまく相手とつきあいながら、実情は相手に取り込まれない自分らしい生き方をするのが良いのではないかと。具体的にどうすればそんな都合の良いことが実現するのかはわからないが。
 そんな折、読みかけの本に、ちょっとタメになりそうな記述を見かけた。

 …フランス女性が参政権を得たのは 1945 年の第二次世界大戦終了を待たねばならなかったなどの事実がある。その理由が、「男にとっての女」である有利さ…に執着する女性たちが、「男と対等」であろうとしたフェミニストたちに対立したからだという説がある。
   ーー『なぜフランスでは子どもが増えるのか』中島さおり(2010 講談社現代新書)p.63

 フランスの女性たち自身の間に「女は男の従属物であるほうが楽に生きられる」という保守的な考えと「女も男と同じ権利を主張すべきだ」という革新的な考えが拮抗していた時代があったんですね。ここで男性をアメリカ、女性を日本に例えると、ちょうど上記の議論と重なるように思われる。はからずも米日関係を男女関係になぞらえるのは、中野剛志氏の「TPP 協定が結婚なら、交渉のテーブルにつくのは婚約のようなもの」という言葉とも整合しているようだ。つまり、米国の言いなりになろうという TPP 賛成派は、男の従属物であり続けることで生存の道を探ろうとする保守派女性のようなものである。
 男と女、腕力には間違いなく差があり、それが長い間男尊女卑の社会を形作ってきたと言えるが、時の流れとともに男女同権の考えが日の目を見るまでになった。同等になっても男たちと女たちの関係が悪化したわけではない。双方、相手の権利を認めつつうまくやっている。
 こう考えると、日本と米国が対等な関係に向かおうとするのは、長い目で見れば間違っていないと思えるのだ。そのような関係に持ち込むには、フランスでフェミニズムが支配的になっていった過程が参考になるのではないかな。