プロジェクトの個人的総括(愚痴あり)

 自分が従事していたプロジェクトは 2006 年 10 月に当初3年間の予定で始まり、後に8ヶ月延長されて今年6月 15 日に最終報告書の締切が設定された。私自身はそのうち 2008 年3月から参加。しかし装置故障や消耗品在庫切れなどがあり、実際に膜を作れた期間はわずか1年ちょっとだった。そして今年2月末に新ヒーターが導入される以前の膜は結局ほとんど役に立たなかった。本プロジェクトで雇われていた他2名のポスドクは昨年秋に去ってしまったので、自分一人で3ヶ月半の間に結果を出さねばならない羽目に。そんなわけでこの3〜6月はいろいろな事を犠牲にしてこのテーマのために昼も夜も働きづめだった。

 軽微な装置トラブルには最後まで悩まされた。加えて他のメンバーから教わったノウハウが間違っていたり、装置の使用法の周知が不徹底だったりという人為的原因によっても無駄な時間を費やした。XRD の配置が変更されていたのを知らずに測定していたのがわかった時は、初めて同僚の前でブチ切れて「RAAAAAH !!!」と叫び声を上げてしまった。かく言う自分の実験方法にも不備な点が無かったとは言わないが。

 結果、幸運にもなんとか報告書用データを締切1週間前に揃えてリーダーに渡すことができた。しかしリーダーの側に、締切までにレポートを完成させようという気がまるで無いことが次第にわかり、またも自分の努力が空回りしたような空しさを抱いた。報告書が提出されたのは締切2週間後だったろうか。その程度の遅れはこの国では常識らしい。全体に、書類提出締切の厳しさ、グループ内の情報共有の徹底などについて、フランスの常識と自分の認識との間に温度差があった。この国は「足並み揃えて」が嫌いなのだな。

 あとは自分の側で、今回の成果を論文化するのが課題。それができれば上記の諸々のストレスも一応解消されるだろう。今週その投稿を完了し、ようやく一段落ついた気分だ。
 論文の共著者にはなるべく多くの人を入れるようにした。単名で論文を出すと外部の人から「君は研究所の中で孤独なのか?」と訊かれることがあり、返答に困るのだ。実際、いまだに職場での人間関係は希薄だけれども、共著に加えればその人は喜んでくれることはわかった。最優先すべきは成果を稼いで研究所(および自分)の業績に貢献することであり、周囲との人間関係の充実といった事柄はその結果あとからついてくる。