葬儀

 リーダーの交渉のおかげか、幸い 15 日の午後に県庁が本物の滞在許可証を交付してくれた。これで帰国できる。16 日昼に CDG 空港発、17 日朝(日本時間)に成田着。実家に直行。父と対面。いつもと違わない顔で、ただ昼寝しているように見える。
 既に家族が葬儀社と葬儀の段取りを進めているところだった。通夜と告別式は、私の帰国日に配慮して余裕を持って 19・20 日に決めてくれてあった。

 通夜式の直前に遺族立会いのもと‘納棺の儀’があった。開始早々、悲しみを増幅させようという意図の安っぽい BGM が流れ始めた。なぜかうんざりして「音楽はいらないんじゃないかな」と係の人にクレームして止めてもらった。
 今回は『おくりびと』で見たやり方よりは簡略化された方法で、全身着替えるのではなく、着ているパジャマはそのままで襟元だけに白い布を置いていた。胸から下は別の布で覆うので、一見白装束を着ているように見える仕組み。係員が父の両手を胸元で組もうとするが、硬直が進んでいるのでうまくいかない。無理に胸の上で保とうとしても、腕がぶるんと脇に落ちる。まるで、他人から指図を受けるのが大嫌いだった父が「うるさいなあ!」と係員の手を振り払っているようで、妹も私も思わず笑ってしまった。腕の位置は父本人のしたいようにさせてあげよう、ということにする。

 正直に言うと、それほど悲嘆にくれるでもなく、意外に父の死を淡々と受け止めている。遠からずこの日が来ることを覚悟していたからでもあるし、その自由奔放な生き方にずっと周囲が振り回されていた面もあったし。最期の1日は呼吸困難で苦しんだという話なので、その苦しむ姿を目の当たりにしていない自分は、臨終の際に傍らにいた家族とは感じ方が違うという事情もあるかもしれない。
 今回の葬儀で私が1回だけ泣いたのは、通夜の席での読経の最中のこと。高齢で病気もあり「来るかどうかわからない」と言っていた伯父母が、遅ればせながら駆けつけてくれたのを見た時に、不意に涙が溢れてきた。なぜそこで最も感極まったのか、自分でもうまく説明できない。