駄サイクル

■ 漫画『ネムルバカ』石黒正数(2008 徳間書店)★★★★★

 4月にアマゾンで購入したものだが、今頃感想を書く。
 メジャーを目指してバンドで活動する先輩と、自分の目標を見定められずにそんな先輩を眩しく見る後輩、2人のルームメイト女子大生の話。

 よくある設定やプロットではあるけれど、本作では青春時代の人間が感じるいろいろなタイプの‘もどかしさ’や‘関係性’が、象徴的に絵でわかりやすく示されているのが秀逸だと思った。
 ミュージシャンである先輩は、音楽で成功するためには硬くて厚い「壁」があり、それをどうにかするために日々頑張っているのだという心境を語る。その背景には、コンクリの壁にシャベルで風穴をあけようと励む先輩の絵が象徴的に描かれている。ジャンルを問わず、何事かを成し遂げようとする者に共通の心理であろう。

 カフェなどの店内を使って、少人数で互いに作品を見せたりほめたりし合って自己完結する集団を、「駄サイクル」の一言で斬り捨ててしまう先輩の洞察にも唸らされた。こういう店、たしかに中央線沿線などにあるね! 作者はそんな奴らを「自称ア〜チスト」と呼び、これでもかと嫌味たらしいキャラに描くのだが、しかしその一方で先輩は、自分もたぶん駄サイクルの輪の中にいるのだと自覚してもいる。
 Garage Band Fan Club や YouTube に自分の演奏を投稿した人への他人からのコメントなど見ると、ほとんど褒め言葉ばかりなのだけど、これも駄サイクルかな。駄サイクルって何だろう。

 『ネムルバカ』の中には、アーティスト対観客の関係として3つの事例が描かれている。1つめは先輩のバンドが満員のライブハウスでライブ演奏する(観客数 200 人くらい?)。2つめは上記の、仲間内で自己完結している自称ア〜チスト(観客数20人くらい?)。そして3つめは、大手レコード会社が先輩をスカウトしてソロアーティストとして売り出すプロジェクトを立てる。自分の意志に関係なく先輩は芸名を与えられ、CM に登場させられ、話題の的となり、ついに大ホールを満員にするコンサートを実現させる(観客数 20000 人くらい?)。

 3つの事例で違うのは観客数の規模だけであって、アーティストが表現するものを観客が享受し賞賛で返すという構図はどれも質的に差はない。その意味で、カフェで自己完結する自称ア〜チストも、否定されるべきものではない。「やってることが小さい」と馬鹿にされるのは仕方ないが。
 つい研究の世界に連想を働かせる。研究者も作品(=論文、学会講演)を発表し、それに対して世間から評価(=引用、招待講演、授賞 etc.)を受けるわけで、アーティストと共通するところが大きい。仲間内で論文を引用し合うだけの小さい輪の中にいる研究者は、まさにカフェ店内で閉じているア〜チストと同じで「自称・科学者」と呼ばれても文句は言えまい。せめてライブハウスを満員にさせるにはどうしたらよいか考えねば。

 終盤、大ホールのコンサートで先輩は、プロジェクトに乗ったのは誤りだったと気づき、すべてを放り投げてしまう。しかし私はこの展開にはカタルシスを感じなかった。ビッグになればいいじゃん、と思った(『カンゾー先生』を観た時も同じようなことを思った。中央で世界的な研究に携わるチャンスを自ら放棄して、地方の町医者であり続ける道を選ぶ話)。
 それはこのレコード会社の売り出し方が、いかに先輩の個性や尊厳を踏みにじった「毒まんじゅう」的なものかが、読んでいるこちらに伝わってこなかったからだろう。「キミのやりたい音楽は『売れた』後でもやれるんじゃないかなぁ」というプロデューサーの言葉ももっともだと思うし。そのへんのズレをじっくり描くには、全1巻ではページ数が少なすぎた。

 <以下ネタバレにつき反転>第1話で語られる後輩の中学時代の体験(寿司屋で殺人事件を目撃し、以来寿司が食えなくなる)は、先輩が失踪したあと後輩が音楽を聴かなくなるという結末の伏線になっている。後輩にしてみたら、先輩という一人のアーティストが音楽業界に殺されてしまったも同然だったのだろう。最後の4ページは一見平穏な日々が戻ってきたかのようで、ラストのコマも笑顔で終わっているのが救いだけれど、その裏には表立って描かれていない悲しみや喪失感が伺える。全体として笑いも多くて軽いタッチの読みやすい作品だが、結構シビアなテーマが内包されている。何度読んでも飽きない。