電池が切れるまで

 事務関係の雑用をする一方で、再び手仕事に突入。作るべきモノがたくさんある。今日はそのうちの1つ(製膜用ヒーター)をようやく完成させる。これ作り始めたの6年前だよ!
 工作物のデザインや論文の構想など練っていると、なかなか途中で止める気にならなくて深夜1〜2時頃まで没頭したあげく、朦朧として帰路につくことがしばしば。これってコドモが思い切り遊び続けたあげく、いきなり電池が切れてバタンと眠りに落ちるのに似ている。

 時々思うのだけど、人間って(他の動物もだが)夜は眠るようにできているのは何故だろうと。仮に日中に活動しているときの活動度(?)を 100 として、眠っている間の活動度を 10 とすると、それを一様に均(なら)して活動度 60 〜 70 で 24 時間過ごしてもいいように思うのだが、実際はそうはいかない。なぜ眠るのかという問題を解説した本や記事を読んでも、なんとなくわかったようなわからないような。
 ただ言えることは、起きている時と寝ている時の活動度の落差は、コドモのほうが激しいということ。コドモは起きている間は常にフルスロットルだが、オトナになると日中のテンションがそれほど高くなくなる。もっと歳を取ると動きも緩慢になり、一方で夜中は眠れなくてラジオ深夜便を朝まで聴いたり、やたら早起きしたりする。つまり老人は活動度の時間分布が平坦に近くなる。してみると、活動度にメリハリがあるということイコール生命力があるということだろうか。

 精神面でも気持ちの高揚や感情の高ぶりの大きい人は「気が若い」と言われるし、そういう人の多い社会が活力のある若々しい社会であるといえるだろう。元来、感情の起伏があるからこそ人は恋愛したり子を作ったりするので、誰もが冷静に淡々と過ごしている世界は老いた社会であり、たぶんじきに滅びてしまう。いまの日本は(他の国もだが)晩婚化・少子化に歯止めがかからないし、ひどい政治に怒る人も少なすぎるし、もう電池が切れかかってるかもしれませんね。話が飛びすぎたか。