メイキング

 自動測定装置のマシンタイムが始まったので、数日間は測定を。あとは寒剤を汲んだり回路を考えたり勉強したり。

 12月31日の『三丁目の夕日』の感想に「CGであることを強調しないでほしい」と書いたけど、考えてみたらある程度メジャーな作品には、観客(視聴者、読者)に作品製作の舞台裏を披露するような企画がつきものなのだった。メイキング映像とか、NG集とか、作家が執筆の動機や苦労を語るインタビューとか。作品世界に馴染んだ客が、次の段階としてこういう舞台裏を見たいと欲するようになるのは昔からの道理。作り手側がそれに応えて情報開示することを非難はできない。そういう情報を欲しない客の目にも否応無しに飛び込んできたら困るけれど。

 ただそういう情報を目にしたら、客はもはや純粋な受け手の目で作品を楽しむことは難しくなる。かつて大河ドラマ炎立つ』の放送中に、その撮影のために作られた岩手県の‘えさし藤原の里’を見物に行ったことがあった。画面に登場するセットを実際に目にするのは楽しかったが、以後ドラマを見るたびに「あの館の裏手には実は朝廷の宮殿が建ってるんだよな」などと画面に映っていない部分に意識が行くようになり、物語に感情移入できなくなってしまった。舞台裏を知るということは、言わば‘受け手’から‘作り手’の側に回ることなのだ。それによって失うものがあるにもかかわらず、そうしたがる客が多いのは面白い現象だと思う。
 たまたまある雑誌の編集者が日記に「夢を与える仕事の漫画家が、インタビュー等で製作の裏話を語るのはやめてほしい」と書いているのを見た。ちょうど1月5日の私と同じようなことを言っている。まあこういった舞台裏公開企画には安定した需要があるのだろうから、客のほうで見る見ないを選択するしかないのだろう。