お祭り騒ぎ

 ちょっと寝坊した。朝昼食:豚のショウガ焼。パーツ屋へ行く。仕事に使う部品を買う。松任図書館へ。仕事に使う本を借りるつもりがつい他にもいろいろ借りてしまう。4時頃職場へ。学生の実験を時々横目で見つつ年賀状のデザイン。試行錯誤の末、デジカメ写真をIllustratorに貼付けて文字を入れた。Photoshopでやるよりも字が綺麗に出る。インクジェットで深夜までかかって印刷。昨年に比べて2日早く刷り上がった。これから暇をみつけて文面や宛名を書く。昔のように帰省する電車の中で書かなくてもいいように。

 いろいろひどいことが立て続けに起こった一年だったが、CMの世界は脳天気なバカ騒ぎばかりで、現実の深刻さに立ち向かう気概のあるものが少なかった、といった意味のことを天野祐吉氏が書いていた。同じことはバラエティ番組にも言える。一部の(しかし多くの)バラエティ番組ではひたすらお祭り騒ぎに徹し、少しでもシリアスなことを想起させる要素は注意深く排除される。さらには出演者のトークに対してスタッフたちが無理矢理笑い声を上げたり、録音の笑い声が付加されたり、一般客に混じって観覧席にいたタレントが「ああ面白かった」と言いながら廊下に出て来たり。そのような笑いの強要行為にはいつも不快感を覚えるが、これもまた現実の世界があまりに暗いために番組はひたすら陽気にしようという意図なのであろう。
 話は変わるけれども、70〜80年代のマンガでよく‘普段はギャグの顔なのに何かあると突然劇画調のシリアスな顔になる’というギャグが見受けられた。間違いなくあれはマンガ世界におけるひとつの流行であった。思えば現在、そういう表現を見ることはほとんどなくなった。これもやはり現実世界があまりに悲惨で深刻であるために、ギャグの登場人物はあくまでギャグ顔でお祭り騒ぎすることを要求され、一瞬たりともシリアス顔ができなくなってしまったということだろうか。