ケータイ

 ひと昔前なら、♪時計を忘れた旅でもしようか〜(by 大塚博堂)という歌があったり、仕事と恋に失敗してしまった女性が、ポケベルを川に投げ捨てて新しい人生に向かって行く(by 星里もちる)というお話があったりした。時計やポケベルが‘不自由’‘閉塞感’の象徴として扱われていた。
 今、日常から解放されるためにケータイを捨てて旅に出る、なんていう物語やフレーズはあまり聞いたことがないな。CMでは男が日常を捨てて旅に出ても、旅先の風景を写メールで友人に送っている始末(それはケータイのCMだから当然だが)。もはやケータイは自由とか不自由とかの次元を超えて、時計よりも密接な存在になってしまったのだろうか。と、出勤途中にケータイを忘れたことに気付いて取りに戻りながら考えたり。

 余談だけど、『琉球の風』(1993年)の主人公の名前は「啓泰」(けいたい)といった。今なら絶対その名前は使わないだろうね。