自己責任

 政府関係者に対して声を荒げる人質家族を見て、蓮池透氏を連想した人は多いだろう。しかし北朝鮮による拉致被害者と今回の人質事件の被害者では立場がまったく違う。
 再三の警告にもかかわらずこの時期にイラクに入国する日本人は、間違いなく自己責任でそうしていると見なされるべきだ。自己責任とは「もし私の身に危険があっても、他者(国など)に責任を求めません」ということだ。自分の意志に関係なく国外に連れ去られた蓮池夫妻らとはこの点が大きく異なる。
 だから残された家族は、国に「どうか人質を助けて下さい」と懇願するのはよいとしても、政府の対応に腹を立てる権利はない。
 結局、その点をわきまえずについ激昂してしまった家族のニュース映像が、人質に対する世論を「同情」から「非難」へ180度転換させてしまった。今の人質バッシングはほとんど物事の本質を忘れ去った感情論だ。事程左様に世論とは非論理的なものである。

 普通「自己責任」という言葉は上のような意味に使うのであって、与党の誰かが言った「自己責任だから救出費用を人質本人が負担しろ」という言説は日本語として意味不明だ。人質に自己責任を求めるのであれば、政府は彼らの救出を放棄したっていいわけだ。それを(成果の有無はともかく)全力をあげて救助にあたると決めたのは政府自身の判断である。自分から動いておいて後から被害者に費用を請求するなど押し売りに他ならない。最近のニュースでは、人質1人につき5万円ずつ徴収することを検討しているとか。まったくやることがみみっちいよ。