イラク人質事件

 人質となっていた人々に対して「自覚が足りなかった」という非難が巻き起こっているという。「遊泳禁止の札が立っている場所でわざわざ泳ぐようなものだ」と。
 おかしな話だ。彼らは気楽な物見遊山などではなく、強い使命感を持ってあえて現地入りしたのであって、当然身の危険は覚悟の上だったはずだ。たまたま今夜の報道ステーションで、日本人フリージャーナリストの女性がバグダッドから市民の生活をレポートしていた。この時期にイラクに留まっている彼女も自覚が足りないと非難されるべきか? その論理で行くと生命の危険を伴う仕事についている人々はみんな自覚が足りないことになるのか?
 逆に、人質の一部家族が政府の対応に激怒したのも筋違いだと思う。さらに「自己責任」と称して救出費用を人質本人に負担させようなどという話が出るのも信じられない。こういう経験が今まで少なかったために、政府も国民もどう対処してよいかわからなくなっているのだな。

 イラクでこれ以上1人の日本人も死なせるべきでない、と皆が念じている。それは大切なことだけれども、5人の日本人の命を心配するとき、失われてしまった数百人のイラク人やアメリカ人の命にも思いを馳せるようにしたい。