判事

 何かの連想で、あの判事のことを思い出した。終戦直後、皆が空腹でヤミ食料に手を出していたとき、どんなに窮しても裁判官としての自覚から断固として配給食料しか口にせず、ついに餓死してしまった判事。
 こういうことがあったことを、今の子供たちにどう説明したらいいだろう。

 あの頃、正規の配給食料だけで生活することは不可能だったことがはっきりわかる。人はみな法を犯してヤミ米を食べて命をつないだ。君たちのおじいさんおばあさんがヤミ米を口にしなければ、君たちはいまここにいなかったのだ(いや、もう今では子供たちの祖父母の中にも戦争を知らない世代の人が登場しているんだろうけど)。
 ときには法律に背かねばならないこともある。生きるための方法は自分で掴め、と言うのだろうか。
 しかし、そんなことを言えば子供たちは困惑するにちがいない。
 「だって学校では、規則は守らなきゃだめだって言うじゃないか」

 そう、この話は学校では語りづらい話なのだ。くだらない校則を守らせるために厳しい生活指導を実践している学校なら尚更だ。

 でも事実にフタをせずに考えねばならない。オトナもコドモも。なぜその規則が作られたのか。その規則に意味はあるのか。逆に、規則になかったら、それはやっていいことなのかどうか。

 内容のない規則をただ守らせるだけの指導がエスカレートする結果、「じゃあ規則で禁止されてなければ何をしてもいいんだ」と考える不届きな輩が出て来るのだと思う。そしてそういう奴らが世界に不安と悪意をまき散らすのだと思う。