『黄金の日日』

■『黄金の日日市川森一脚本(1978 NHK
 リアルタイムでは2、3回しか見た記憶がないけれど、オープニングタイトルの沈み行く夕陽とテーマ曲の主旋律はよく覚えている。先月、ビデオ全5巻を図書館から借りて通して見た。総集編なので物語を味わうには不十分だが、雰囲気は感じ取れ、追体験できた。25年前とはいえビデオ技術は既にある程度確立しており、映像は十分美しい。今の大河と比べるとセットがやや安普請だが、当時の視聴者は舞台劇感覚でドラマを楽しんでいたのだろう。

 ときどき大河の重要な役に無名の役者が抜擢されてスターになることがある。この作品は、根津甚八と川谷拓三の出世作だ(と思う)。
 だが彼らの作中での死に方はすさまじい。今だったら、制作者側がストップをかけそうなシーンだ。夏目雅子竹下景子、緒方拳、近藤正臣ら、他の登場人物の死に方もかなり衝撃的だ。
 主人公の(現)松本幸四郎はラストでルソンへと旅立って行くが、もう一つの主人公ともいうべき堺の町は炎に包まれて終幕となる。

 市川森一はハッピーエンドをほとんど書かない脚本家なのだそうだ。「悲劇のほうがカタルシスになる」と語っているのを読んで、ああそういうことかと思った。後の『山河燃ゆ』(1984)『花の乱』(1994) でも人々が不幸になっていく様がこれでもかと描かれたのだ。視聴率が悪かろうが評判が悪かろうが気にする様子もない。

 彼の大河三作品には共通して悲劇の通奏低音が流れているが、その評価は時代によって異なる。今のような閉塞感のある時代には逆にハッピーなものが求められ、1970年代は前進あるのみといった時代だったからこそ悲劇が受け入れられた。
 この十年ほどの間に、現実に猟奇的な事件を日本人は数多く経験した。多分そのせいだと思うが、現在、ドラマで人が死ぬことはあってもその描かれ方は表面的で、死というものがTV画面からリアリズムを伴って伝わってくることはほとんどない。良いことか悪いことか。