『旅人』

■『旅人』湯川秀樹(1960年 角川文庫)
 田中耕一氏は25歳のときに着想したレーザー脱離質量分析手段が認められて、43歳でノーベル化学賞に輝いた。
 湯川秀樹先生は28歳のときに発表した中間子理論が認められて、42歳でノーベル物理学賞に輝いた。こちらは1949年のこと。

 これは湯川氏の、生い立ちから中間子のヒラメキを得るまでの若き日々を振り返った自伝である。執筆は1958年。
 戦前のことだから、学生生活などは現在とはかなり違った雰囲気だったのだろうけど、各運動部が新入生勧誘合戦を繰り広げるところなどは今も全然変わってないね。
 取り組むべき問題を自分で設定し、寝ても覚めてもそれをコツコツ考え続ける研究生活。田中さんと同じだな。場所もなぜか同じ京都だし。

 研究とは山登りだ、と湯川氏は言う。中間子に関するあの華々しい成果も、彼に言わせれば、のぼり道の途中でちょっと平らになっている休憩所のようなものだと。決して“頂上をきわめた”などとは言わない。
 常に上を見据えて登り続ける。その気持ちはおそらく一生変わらなかっただろう。それが研究者というものなのだと思う。

 だから田中さんにも、マスコミの好奇の目から解放されて、以前通りに自由に研究できる日が早く来ることを祈らずにいられない。