天然色

 カラーの写真や映画がいつごろ始まったかという歴史には、昔からとても興味がある。子供の頃は、戦前の映画はみんなモノクロかと思っていたが、調べるにつれ『風と共に去りぬ』は1939年製作で既にカラーだったとか、それどころかディズニーのアニメは1932年からカラーを導入していたことなどがわかってきて、そのたびに驚いた。

 以前、ベネズエラの人と食事してる時に映画の話になって、彼はやはりそんな昔にカラー映画があったとは思っておらず
「『風と共に去りぬ』はもともとモノクロで、最近になってコンピュータ技術で色をつけたんだよな」などと言う。
「いや、製作当時からカラーだったんだ」と言っても「そんなはずはない」と聞かなかった。結局、彼を説得することはできずじまい。
 相手が間違ったことを信じているときに、いかにしてそれが間違いであることを冷静に理路整然と説得するかは難しい。私は相手が頑固だとつい頭に来てしまうので。そう、自分も頑固だからさ。
 ま、それはともかく。

 先週のクイズ日本人の質問で、日本で初めてのカラーの新聞ニュース写真がとりあげられていた。昭和27年2月8日付けの中日新聞に掲載された、国府宮神社の裸祭りのひとコマだったそうだ。これもまた意外に昔だと思った。
 当時カラー撮影に使われたワンショットカメラというものも紹介されていた。四角い箱の前面にレンズ、右と左と後にそれぞれ三原色に対応する3枚の乾板が設置されているもの。すげえ。

 それから50年が経ち、今はデジカメで撮った画像をメールで送る時代。
 先週のある日の朝日新聞の1面には、大粒の涙を流す15歳の少女のカラー写真が大きく載っていた。
 あのインタビューはその後いろいろ問題になったけど、記事を見る限りとくにマスコミが北朝鮮の策略に乗っているという感じは受けなかったな。あの国の性格を考えると、少女に「こう言えよ」と前もって指示がなされている可能性はあるが、読者の側がそれを認識して彼女の言葉を割り引いて考えていれば問題ないだろう。
 ただヘギョン嬢の涙は(まさか演技ってことはないと思うので)、いまの両国の関係の難しさを表していて、ストレートに心に迫ってきた。彼女のみならず、拉致の関係者の人々の切実な思いまでもが1枚の写真に凝縮されているように感じた。新聞カラー写真はここまで進化したのだな。