内山世代

 内山安二氏の漫画といえば、我々の世代で小学生の頃に学研の「科学」を読んでいた人にはすっかりおなじみであろう。
 私が読んでいた「6年の科学」には『炭九とドウナルノ・ダン』という科学漫画が連載されていた(なつかしいなあ、久しぶりに思い出したよこのタイトル)。永久機関に挑戦したり、錬金術で黄金をつくろうとしたり、果ては核融合エネルギーまで、今思えば学校でも教えないようなかなり自由奔放なテーマに、親しみやすいキャラクターたちが取り組んでいた。知識を得るだけでなく科学を“やってみる”という姿勢をあの漫画から学んで、理系に進んだ人も少なくないのではないか。

 その後長い年月が経ち、気がついたら「科学」の漫画は内山氏からあさりよしとお氏に替わっていた。理科系の人は内山かあさりかで世代が分かれるのかもしれない。
 数年前に某雑誌で、初対面の内山氏とあさり氏の対談記事を見た。あさり氏が「内山漫画で育った」と言い、内山氏を尊敬してやまないのに対し、内山氏にとってのあさり氏は「自分にさっぱりわからない最新科学を話題にする、まるで宇宙人」という印象だったという。確かに内山とあさりの作風にはかなりのギャップがあるのだ。内山キャラはトンカチとノコギリで不格好な装置を一生懸命作る。あさりキャラはパソコンなどの最先端機器を駆使してスマートに科学するというイメージがある。あさり氏の話についていけんという内山氏の感想を読んだ時は、内山世代として、自分も古い人間になったような寂しい思いをしたのであった。

 先頃、内山氏死去の報をアサヒコムで知って驚いたが、その見出しにも驚いた。

  「水俣出身の漫画家、内山安二さん死去 」

 なんなんだ、これは。子供たちに科学を浸透させた功績に触れもせず、出身地ごときをキーワードにもってくるとは、私には信じ難いことだ。 ああ、書いた記者はあさり世代だったのかもしれないね。かつて「キザの小円遊死去」という心ない見出しを書いたのも朝日だったな、などと余計なことまで思い出す。
 たぶん誰かが文句を言ったのだろう、数時間後にもう一度アサヒコムを見ると「学習漫画で親しまれた内山安二さん死去」に書き替わっていた。そう、そうでなけりゃ。

 ついでながら、アサヒコムのおくやみ記事では漫画家と芸能人と女性はいまだに「さん」づけ、それ以外は「氏」なんだな。毎日新聞は職業男女の区別なくすべて「さん」づけで、比較的好感が持てる。それでもまだ朝日を読んでいるんだけど。