研いであるコメ

 研ぐ必要のない米(いわゆる無洗米)が10年くらい前から細々と市販されている。今年あたりから売上げが伸びそうだ、と今日の朝日新聞に書いてあった。今までどうして売れていなかったのか不思議。
 自慢じゃないけど私は米を研ぐのが嫌いなのだ。もしも米を研ぐという作業が私に快感をもたらすものであれば、私は毎日米を研ぐだろうが、残念ながらそうではない。どこがイヤかというと、まず第一にどこまで研げばいいのかわからないこと。研いでも研いでも粉が出てくるから、ゴールが見えず達成感が得られない。そして、大雑把な性格だから、手にひっついた米を払ったり、水を切る時に手の間からこぼれて流しに落ちた米を拾ったりするのがイライラする。夜遅くに帰ってきて、これから米を研ぐのかと思うとゲンナリして、明日の朝は出勤途中でパンと缶コーヒーを買おう、なんてことも。
 最近は無洗米を使っているので、朝食を作るのが以前より億劫でない。研いであるコメ。切ってあるバター。混ぜてある塩とコショウ。こういった便利商品は仕事しながら家事する者にはありがたい。不精だ、との批判はあろうが、無洗米を使うことによって自炊をする回数が増えるのだからかえって自身のアクティビティは高まっているのだ(と思う)。
 一方、カーナビとか、2万色表示できる携帯電話などは、いくら便利だと言われても「そんなモノは要らん」と思う。無洗米とどこが違うのかを説明するのは難しい。ま、人それぞれということで。