人生で逃れられない2つのもの、それは死と税金

砂糖はたばこ・酒と同じ「毒」 課税提唱に米業界が反発(朝日)

 「砂糖は毒」として、米国の小児科医らがたばこや酒のように税を課すべきだとの意見を2日付の英科学誌ネイチャーに発表、砂糖や飲料の業界が一斉に反論する事態になっている。…(砂糖の)過剰摂取による肝臓への毒性や依存性、その結果もたらされる社会への悪影響を挙げ「たばこや酒と共通している」と指摘した。安くて味がよくなるため、「製造業者に添加量を減らす動機付けがない」として、ジュースや菓子に添加される砂糖への課税や子どもへの販売制限などを提案した。

 酒・タバコが課税されてるのは社会悪だからだと書いてあるようだけど、税金ってそういうものなの? 消費も給与所得も社会悪なのか? 贅沢品を嗜んだり、何かで優遇されている人が、その見返りに一部をお金で支払うのが税だと思っていた。が「毒だから課税せよ」という言説はよくわからない。

 …と呟いた後で「税金っていったい何だろう?」という疑問が今更ながら湧いてきた。住民に一律に課せられる税金、能力に応じて払う税金、いろいろあるが、基本的に「サービスを受けた民が見返りに払う」ものとされている。どんなものに税金を課すかは勿論お上の一存。自動車に関しては自動車税自動車重量税ガソリン税、購入したときの消費税などがかかるけれど、自転車税なんてないよね(…と思ったら昔はあったんだ、へえ)。結局、国や自治体が懐具合に応じてテキトウに定めるもので、「カツアゲ」「みかじめ料」とあまり変わらない印象がある。税金とは逃れようのないカツアゲである。言葉が悪いかな。

 一方、炭素税なんてのもある。(1) 放っておくと民衆がどんどん CO2 を排出し続ける、(2) そうすると社会や世界が困る、何とかしよう、(3) そのためのハードルとして課税という手段を選んだ…というもの。世間に迷惑をかける者が罰金としていくばくかを支払うという仕組みは、本来の税の考え方とは若干ずれるが、まだ理解できる。その結果生じる税収はおこぼれみたいなものだね。だが砂糖には (2) のような公共的な危機感がない。どんどん砂糖や酒を摂取して後で困るのは、本人であって国ではない。なぜ国に罰金を払う必要があるのだろう?

 砂糖は摂らなくても人間生きて行けるから、まあ贅沢品と言っても良く、その意味で砂糖に課税する案は的外れではないと思う(してほしくないけど)。しかし「自身の健康を害するというあなたの行為に対して懲罰の意味で課税します」と言われても「余計なお世話だ」と思う。税とは基本的に、いい思いをした人が見返りに払うという意味合いのものであってほしい。もちろん、そのために行政サービスも課税に見合う程度には充実していなければおかしい。そして懲罰としての課税はほどほどにお願いしたい。