送る言葉

 実は、父に対してずっと複雑な思いを抱いてきた。ある種の父の言動や考え方をどうしても容認できず、しばしば衝突したり、もしくは言いたい事を我慢してストレスを溜めて生きてきた。しかしながら私の人格形成上重要な役割を演じた人物の一人が父であることはまぎれもない事実であり、彼を全否定などできるはずもない。一方で、自分のやりたいこと、なすべきことを明確にわかっていて、常に一心に目標に向かっていた姿勢は私に欠けている点で、そこは尊敬していた。

 父は日本政治史の研究者であった。大学の教員を退職した後も、自宅で地道に研究を続けていた。家で一緒に飲んだ後でも、彼は毎晩机に向かっていたと思う。頭の回転も研究意欲も最期まで衰えることはなかった。
 以前彼が、80 歳まで生きられれば満足だ、とポロッと漏らしたことがある。最近また新たなテーマに着手し、「この仕事はあと2年で完成させる」と見通しを語っていたものだが、思えば2年後には 80 歳になるはずだったのであり、今回のテーマは彼の長期計画の集大成となるべきものだったのだろう。残念ながら最期は急速に肺炎が進行し、仕事にケリをつける暇もなくあっけなく逝ってしまった。成すべきことを成し終えて予定通りに人生の幕を閉じることは、本当に難しいことなのだなと実感する。

 一人の老人が死ぬことは一つの図書館がなくなることに等しい、という言葉がある。身内ながら父の知識や洞察力には見習うべき点が多かった。最後のテーマが志半ばに終わったことは、世界にとっての損失で単純にもったいない…と思うのは、分野こそ違えども自分も研究者の端くれだからだろうか。
 葬儀の際に、私が遺族代表挨拶をすることになった。父が最後まで何かをやろうとしていたことを会葬者の方々に知っていただきたいと思い、自宅で研究していた話や、2年計画の仕事に着手した矢先であったという話をスピーチした。何人かの会葬者の方に良い挨拶だったと言っていただいて嬉しかった。世界にとっての損失だと思って下さる方が他におられたかどうかは知る由もないけれども。

 年をまたいでこの話題を続けるのも何なんで、この日付に書きました。父の話はとりあえずこれにて。(10.1.15 記)