祀るということ

 7/26 (水):実験結果の解析。報告会準備。
 7/27 (木):報告会準備。報告会。自動測定装置の使用開始。基板の前処理開始。
 7/28 (金):自動測定装置の試料交換を何度か。秋の欧州行きの旅程を組む。学会以外にも寄るところがあって、まだ完全に定まっていない。金属加工業者へ完成品を取りに行く。ボスの名刺を印刷する。基板の前処理終了。書類書き。

「被祀者の遺骨・位牌などはなく、霊璽簿に氏名を記入し、合祀祭を行うことで、「御霊(みたま)」を招来して祀っている。‥‥なお合祀に関しては、本人・遺族の意向は基本的に考慮されておらず、神社側の判断のみで行われている。」
靖国神社は、いったん合祀した霊魂は一体不可分となるので特定の霊のみを廃祀することは不可能であり、分祀しても元々の社殿から消えはしないので無意味であると主張し」(Wikipedia靖国神社」の項より)
 靖国神社に御霊を祀る際の手続きなど、今まで考えたことが無かったが、ただ祀られる人の名前を紙に書いて儀式をすればいいのか。驚くほど単純だった。それにしても、遺族の承認なしに神社側が勝手に祀ることができて、それでいて後で取り消しもできないとはどういうルールだ。アンフェアも甚だしいのではないか。神秘的な論理を押し通す宗教にあまり大きな特権を許していたら危険だと思う。