めっき

 午前、同僚らの研究提案会を聴講。書類1ヶ作成。午後は今後の計画を立てたりセミナー聞いたり。
 ハンズで買って来たホビー用めっきセットを使って”金めっき”をしてみる(初)。3回くらい失敗した末、まあまあうまくいった。自分でめっきをできることが何だかひどく嬉しい。新たなものづくり手段を手に入れたのだ。
 プール。2日連続だと息切れする。

 セミナーの講師先生が自慢気に「私は1日に本を 100 冊読める」と言うのでちょっとびっくりしたが、よく聞くと自分の欲しい情報の箇所しか読まないからだって。そんなこったろうと思った。手塚治虫氏の映画の見方と同じ。氏は1年に 365 本の映画を見ることを自分に課していたが、その実態は、あらかじめ映画雑誌等で各映画のこの部分を観たいと目星をつけておいて、その頃合いに映画館に入って観たい部分だけ観てすぐ出る、を繰り返していたという。そういうのを1本と数えるのはどうなんだ?
 本でも映画でも、期待していなかった部分で意外な驚きやヒントを得ることは屡(しばしば)あって、それが面白さでもあると思う。自分の欲する部分だけ読む(観る)人は、そういう外部から与えられた偶然の出会いは自分の思索や創作には不要だと考えているんだな。これは限られた時間をいかに使うかという問題で、「必要な部分だけ拾い読み」が悪いと言っているわけではない。引っかかるのは「拾い読みを1冊と数える」点だ。私自身は前書きから後書きまで通読しなければ1冊とカウントしないことにしている。まあそれを言い出すと 80 ページの本も 600 ページの本も同じ1冊と数えること自体が変な話なのだが。
「ひと月にどれくらい本を読む?」「んー、2 kg ぐらい」
 技術が進んで、自分の読書量を「文字数」で数えられるようになったら、少しは公平かも。