日本アカデミー賞

 3/4 (土):朝帰り。昼過ぎまで寝る。起きる。いいかげん埃だらけになっていた部屋の掃除。『白夜行』(東野圭吾)読了。ドラマ開始頃に購入して読み始めたもの。ずいぶん日数がかかってしまったが、ドラマ終了前に読み通すという目標は達成した。ファミレスで夕食しつつ古新聞古雑誌に目を通す。ちょっと量が多かったが頑張ってチェック完了。

 3/5 (日):髪を切る。洗濯。乾燥。昨日の掃除で抽出された不要本の一部を処分しに古本屋へ。モバイルネットのやり方を調べに電器店やら携帯電話店やらを回る。プール(3週間ぶり)。職場へ。論文入手等。
 プールの間が空いてしまったきっかけは、週末に飲み会が続いたことだった。あと平日は実験していた日が比較的多かったのも一因。もっとも本気で泳ぎたければ実験の合間に車を飛ばしてプールに駆け付けることもできたわけで、要は自分の心が「健康とか減量とか、そんなのどうでもいいや」モードになってしまったのだな。

 暖かくなってきた。同時に、昨日頃から花粉の影響か目と頭がシクシクし始め、「どうでもいいや」気分に拍車をかける。もしこの気分が一生続いたらどんな憂鬱な人生だろう。

日本アカデミー賞
 録画を見る。主演女優賞(吉永小百合〜『北の零年』)を除くすべての部門の最優秀を『ALWAYS 三丁目の夕日』が独占。この賞では日本テレビ系の映画が贔屓されるのは今に始まったことじゃないが、ここまで露骨なやり方をされると興醒めで、監督賞、作品賞の発表のあたりではもうまともに見る気がせず早送り。こういう偏った授賞が日アカ自体の権威をさらに低下させるということが主催者にわからないはずはないのだが、それでもあえてやっているのは視聴者を馬鹿にしているからだと思う。
 著名な監督や俳優たちが一堂に会するシーンを見たいために今まで見てきたし、来年以降も多分見る。だが賞の行方は、紅白歌合戦での勝敗の行方と同じくらいどうでもいい。