20年後に読み返す

 修理されてきた装置の部品を搬入。学生に装置の使用法を教える。真空装置の架台に穴をあけてキャスターを取付け、ようやく簡単に移動できるようになる。力仕事ばっかり。このあとデスクワークをやります。

 花粉が非常に多いという予報だったが、そのとおりになった。
 目と喉がかゆい。
 花粉め、なかなかやるな。だが勝負はまだ終わっちゃいないぜ。

 今井雅之氏が20才前後の頃に書いていた日記には、しばしば日本語の文章中に but などの英単語が使われていたので、読んでいて妙に恥ずかしかった。なぜ恥ずかしいかというと当時はそういう表現が流行していて、かくいう私も使った覚えがあるからだ。若気の至りとはいえなぜあんなことをしたのか。当時の自分に小一時間説教してやりたい。翻って、現在自分が書いている文章を20年後の自分はどんな思いで読み返すのだろうか、などと考える。‘うーむ’‘なんだかなあ’のような表現を使っていたことを顔から火が出るほど恥じるであろうか。なるべくそうならないように気をつけているのだが、あまり気をつけすぎてつまらない文章になってもいかんし。