がっこう

 機械的に作業をこなし、合間に図書館で論文誌を見る。関連の深い論文誌は2週に1回はチェックしておくべきだが、前回のチェックから半年くらい経ってしまっていた。部屋の掃除とか、自炊とか、論文誌チェックとかを億劫がらずに定期的にやれるようになるのが次の自分の課題だな。

 少し前の新聞で谷川俊太郎の『がっこう』という詩を読んで、少なからぬ衝撃を受けた。
 「がっこうがもえている」で始まるこの詩は、教育の場としての学校が崩壊している様を描いているらしい。で、最後の一行をどう解釈するかだが、ある人は学校に虐げられてきた生徒の恨みから来る「ざまあみろ」の叫びだと読む。谷川氏本人も学校が嫌いな人のようだから、そのつもりで書いたのかもしれない。一方私は先入観なしでこれを読んだとき、手塩にかけた学校が理想の教育とかけ離れてしまった実状を憂う、心ある教育者の悲痛な叫びのように受け取った。同じ現象を生徒側から見るか教師側から見るかの違いに過ぎないけど。
 1985年の作とのことだが、今の学校(大学も含め)の状況をも痛烈に言い表わしている。ああそうか、がっこうはもえているんだ、と腑に落ちたのだった。悲しいかな、どうすれば火を消し止められるかの展望は今は見えない。

 (引用はしませんが、Googleで「がっこうがもえている」をキーワードに検索すると全文紹介したページがヒットします。)