考へるといふ亊

 夜、職場を抜け出し、深夜11時までやっている美容室に髪を切りに行く。いつもの美容師さん(中年男性)と、Mac OSX、武蔵、萬屋錦之介、富山ラーメン、大学の入試科目など、いつものようにめっちゃ広汎な会話をして過ごす。教えられることが多い。

 職場に戻ってから再来年の大河ドラマが『義経』に決まったことを知る。源平ものは大河では5作目だそうだ。『源義経』(1966年)という作品もあったし、せめてタイトルは目新しいものにしたらどうかと思ったが、そういえば最近の大河は主人公の名をそのままタイトルにしてしまうことが多い。『武蔵』『利家とまつ』『北条時宗』『徳川慶喜』『毛利元就』『秀吉』‥。
 今よりも大河が大勢の人に見られていた昔は、『風と雲と虹と』『峠の群像』など、題名だけからは内容がわからない作品が比較的多かった。視聴者に「ん?何だこりゃ?」と思わせ、興味を抱かせることができた時代だったのだ。最近の人は考えることを嫌がるから、見てもらうためにはわかりやすい題名にせざるを得ない、ということなのだろう。

 そういえば件の美容師さん、何も考えずに楽しめるハリウッド映画の影響で日本人がバカになるぞ、と警告していたっけ。
 考えることを人々が放棄しつつあるということは、様々な現象を見て感じることである(かく言う自分もそうかもしれない)が、どうすればいいのかといった問題に回答を見つけるのは難しい。もう少し考えてみよう。