グローバルスタンダードっていったい…

 書店で『電脳なをさん(4)』(唐沢なをき)を立ち読みしていたら、G4キューブを発売したせいでアップルの株価が大幅に下がったという話がネタになっていた。ふーん、やっぱり評判悪かったのか、キューブ。なんだかまた世間から一歩ずれたような気がするな…。でもMac派でありながら先日出た電気スタンドみたいなiMacには思わずのけぞってしまった。買った人、ぜひ感想聞かせて下さい。

 アップルのサイトの『ようこそ、Windowsユーザの皆様』と題した広告ページを見ると、アメリカでは教育機関のパソコンの半数がMacだとか、Macユーザーは世界に2500万人いるとか、現大統領と前大統領もMac使いだとかいう情報が書いてある。
 ひと昔前のコカコーラに対抗したペプシコーラの比較CMにちょっと似ているな。街角で通行人に銘柄を隠した2種類のコーラを飲ませて美味しいと思う方を選ばせて「半数近くの人がペプシを選びました」というCM。「半数近く」ということはペプシ以外を選んだ人の方が多かったってことじゃん、というツッコミも当時さかんに聞こえてきたが[1]、このCMでペプシが言いたかったことは「その割には売れ行きがコカコーラとあまりにかけ離れているのが我々は不満だ」ということだったのだろう[2]。
 VTRの市場ではβはあっという間にVHSにやられてしまったけど、パソコンにおけるMacやコーラにおけるペプシは、手を替え品を替え人々の気を引く努力をして、潰れずによく頑張っていると思う。

 さて、先日聴いた講演会で、講師の方が「これからはグローバルスタンダード化が進んでいく。好む好まざるにかかわらず、OSはWindowsに一本化していかねばならない」ということを話されていて、驚いた。
 グローバルスタンダードってそういうことなのですか?
 これは例えて言えば、世界中の人が日常的に英語を話すべきだ、というのと同じではないか?

 いま世界共通語は英語だと言われる。これは国際会議など多数の国から人が集まる場所ではたいてい英語が使用されるということ。だからそういう場に赴く人々は、英語は身につけねばならない。しかし、だからといって普段の生活でも英語だけを話すべきだとは言えない。
 自分たちの言葉を守りつつ、共通語としての英語も話せるように勉強する。こういうのがグローバルスタンダードではないのだろうか。(日本語における“標準語”と“方言”にも同じことが言えるな)

 またWordネタで申し訳ないが、Word形式の書類を送られてくると、Wordユーザー以外は読むことができない。読むだけの書類なら、PDF形式に変換して配布すれば誰が作った書類を誰が読むこともできる。すべての人にWordを使わせるというような方針ではなく、Wordユーザーも一太郎ユーザーもPDF変換をより簡便に行える環境を整えるような方向。すべての人にWindowsを使わせるのではなく、市販のアプリやCD-ROMは常にWin/Mac両用にするよう努力する方向。こういうのが正しいグローバルスタンダードのあり方だと思うのだがどうだろう。技術的に可能かどうか知らずに勝手なことを書いているけど。
 天の邪鬼で「人と同じ」が嫌いなので、こういう話にはつい熱くなってしまうのだった。

【注】

[1] しかし今検索していたら、ある方の日記に「じつはあの味比べではペプシを選んだ人のほうが多かった。が、CMでそう言うとあまりに嘘臭くなるから、あえて控えめに「半数近く」と言ったのだ」という記述があってびっくり。そうか、47%でも53%でも“半数近く”には違いないし。

[2] もっともCMでは味比べのもう片方がコカコーラだとは明言していなかったと思う。もしかしたらジョルトやブラックシュウェップスと比べていたなんてことは……ないか。