同時多発テロ

 名古屋に出張中の夜、炎上している世界貿易センタービルのTV映像が視界に飛び込んできた。最初は事故かと思ったが、2機たて続けに衝突したと聞いて、故意に突っ込んだ組織的な犯行とわかり、背筋が凍った。
 まったく、何ということをするのだろう。ビルのオフィスで一瞬にして命を奪われた人々、目前に迫るビルを前に為す術もない飛行機の乗客、崩壊したビルの下敷きになった消防士。犠牲者の味わった恐怖を考えると、自分も胸を刃物で貫かれたような気分だ。

 その晩は3時ごろまでTVから目が離せず、いろいろな思いが頭をぐるぐる回っていた。一番気がかりなのは、米軍による報復が行なわれるのかどうかだ。
 アメリカでは今度の事態を「パールハーバーの再来」と呼んでいるという。映画の『パールハーバー』は、日本軍の真珠湾攻撃にやられた主人公の米軍パイロットが、東京空襲で仕返しをしてハッピーエンドという筋らしい。それを聞いただけでこの映画を映画館で見る気が失せるのだが、まさに「やられたらやりかえす」というアメリカの体質を如実に表しているラストだ。今度のテロが「パールハーバーの再来」であるなら、同様に報復が行なわれて然るべきだと多くのアメリカ人が考えているのだろう。

 「これは善と悪の戦いだ。善は必ず勝つ」とブッシュ大統領は述べた。
 だが大量殺人に善も悪もないのだ。
 飛行機によるビル破壊も、東京空襲も、パールハーバーも、アウシュビッツ、南京、ソンミ村の虐殺も、どれが善でどれが悪だなどと言えるものか。言わせてもらえば、すべて悪に決まっている。手を下した側の人間は善だと思ってやっているのかもしれないが。
 もしアメリカがテロ組織への武力による報復を行なったら、アメリカも同じ穴のムジナとなるだけではないか。悪循環以外の何ものでもない。テロと戦争は別だって? 数多くの人の命が失われるという事態の前で、そのような区別をすることに何の意味があるだろう。

 今こんなことを書くべきではないかもしれないが、「原爆投下は第二次大戦を早く終らせるために必要なことだった」と考えている(一部の)アメリカ人には、今回のテロの犠牲となった人々も原爆で犠牲になった広島・長崎の人々も同じ一般市民だったのだということを認識してほしいと思う。
 もちろんテロ犯人のやったことを許すことは到底できない。しかし「アメリカだけが常に正しい」「やられたらやりかえす」とアメリカのトップが考えている限り、テロやテロまがいの武力行使の連鎖が途切れることはない。