あえて時代の匂いを消す

 「オードリー」は面白く見ている。特に主人公たちがTV時代劇の製作に携わるくだりは、仲間が集まって一つのものを作り上げていくことの充実感が伝わってきて、元映研部員の私は感情移入して見ていた。ただしこのドラマでは、時代考証というものはあまり厳密にはなされていない。ドラマに登場する撮影機材などは当時のものを忠実に再現しているらしいが、台詞にはそういうこだわりはない。物語の時代(昭和47年〜51年)にはまだ無かったと思われる単語や言いまわしが出てくる。
・「あの脚本家はイマイチや」(幹幸太郎がTV時代劇の出演依頼に難色を示す場面。もしかすると関西では古い言葉か?)
・「そんなことまで監視するんだ」(錠島が関川に言う台詞。「…するのか」という疑問、確認の意味で「…するんだ」という言い方が使われだしたのはもっと後であろう)
・「なんだかなあ…」(美月の母が夫を相手にぼやくシーン。昭和51年当時はまだ無かった言い方だと思う)
 逆に、当時の独特の流行語などは全くと言っていいほど登場しない。
 あとは女性の化粧。昭和47年には日本中の若い女性が濃厚な付けまつげをしていた筈だと思うのだが、ドラマには付けまつげ女性は一人も出てこない。まああのファッションを当時やっていた女性たちの多くは、その過去を自分の記憶から消し去りたいだろうから(失礼)。
 こう書くとまるでアラ探しをして楽しんでいるように見えるが、実はそうなのだ。ただし決してドラマやその脚本家をけなしているわけではない。面白いドラマであることには変わりない。視聴者にドラマ世界へ入り込ませるため、強い時代ギャップを伴う台詞や小道具はあえて排除する方針なのだろう。実際、昭和48〜49年頃に作られた日本の青春映画など見ると、物語よりも人物のファッションや話し言葉ばかりが強烈に印象に残ってしまうのである。