科学者の歓喜の瞬間  −「遠い空の向こうに」−

 他のところでもこの映画について書いたけれど、今回は少し冷静に(笑)。

 歓喜の濃縮された瞬間というものがある。思わずガッツポーズを取りたくなる瞬間。
 歌手はコンサートで客席と一体になった時か、レコード大賞を受賞した時か。
 スポーツ選手はオリンピックで金メダルをゲットした時か。
 受験生は合格発表に自分の名を発見した時か。

 長い長い苦闘や受難の時を経て、一瞬にして状況が良いものに変わる。この苦から楽への変化が大きいほど、また変化時間が短いほど、歓喜は強いものになる。ということは、状況の好ましさをx、時間をtとすると、歓喜の度合はdx/dtで表されるのかもしれない。どーでもいいけど。
 ここでは、そんな瞬間をヨロコビ臨界点と呼ぶことにする(語彙が貧困ですみません)。

 科学者にとって、ヨロコビ臨界点はどんなときだろうか。
 ヒトゲノムの解読、青色発光ダイオードの作製など、新しいモノの発見や開発に成功した時はまさしくそうだろう。
 もしくは、投稿した論文の受理(審査をパスして雑誌への掲載が決定すること)通知を受け取った時がそうだという人もいる。

 しかし、科学の現場でのそんな瞬間というのは、たいてい実験室で数人の研究者仲間が大騒ぎするくらいが関の山で、はた目にはいたって地味なものだ。いっぽう歌手やスポーツ選手はふつう多数の観客と共にある。ギャラリーの声援や拍手は、彼らの歓喜のピークを何十倍にも増幅する働きを持つ。研究室に籠っていると時々そういう職業がうらやましく思える。

 さて、この映画は、1950年代の米国で、ソ連人工衛星スプートニクに刺激を受けた4人の高校生がペンシル型ロケットの製作に挑む話だ。

 最初はロケットについての知識など皆無で、花火に毛が生えたような物を遊び半分に飛ばしていた彼らが、失敗を繰り返すうちにだんだん本気になってくる。専門書に当たったり、知り合いの旋盤工の助けを借りたり、高価な材料を買うためにアルバイトをしたりする。いくつもの壁にぶつかりながら目標達成に向かって奮闘する彼らの顔つきは、しだいに”普通の高校生”から”研究者”のそれへと変わっていく。いつしか私もスクリーンを通して彼らに感情移入している。

 そして何十回目かのトライで、ついに空高く飛んで行くロケット。実験を見物に来ていた客から歓声と拍手が湧き起こる。感動的な瞬間である。
 実はこの後もいろいろ話が続くのだが、ここでは割愛する。

 映画の題材にロケットをもってきた選択が上手い。例えば青色ダイオードが初めて光った瞬間を題材にしたらどうなるか。産業的には超ド級の画期的な成果なのだが、数mm角のチップが光るシーンは残念ながら一般向け娯楽映画としては今一つ盛り上がりに欠けるだろう。ロケットには天を突き進む映像のインパクトがあり、ギャラリーの拍手がある。科学者のヨロコビ臨界点として最もピーク強度が高い例の一つを、この映画は描いている。

 実際の研究者も日々失敗の連続で、ヨロコビ臨界点を経験することはなかなか難しい(そうでない人もいるが)。もちろんヨロコビのピーク強度と、その研究の社会的意義が比例するとも限らない。しかし、このような歓喜の瞬間を見せられると、自分もまた頑張ろうという気になってくる。研究人間やモノづくり人間に原動力を与えてくれる映画だ。

 ところで、漫画家などは大勢の読者にユメを与える職業であるにもかかわらず、ほとんど仕事場で原稿を描いて編集者に渡すだけで、行動範囲の狭い人が多いらしい。ヨロコビ臨界点に出会う機会は意外に少ないのかもしれないな。あるとすればデビュー作の載った雑誌を書店で目にした時くらいか(偏見?)。(00. 8. 9)


ジョー・ジョンストン監督「遠い空の向こうに」(原題:"October Sky" 1999年アメリカ)