レゾンデートル raison d'être

 最近はほぼ毎日、自室で夕食を摂った後に再び職場に来ている。最後は深夜バスで帰らねばならないのであまり滞在時間に自由度がなく、2〜3時間くらいしか居られないけれども、デスクワークならある程度こなせる。
 日本の研究室に所属していた時はいつも深夜まで居残る生活を送っていた(必ずしもずっと仕事していたとは限らないけど)。大学院時代の指導教官は「昼に実験して夜は論文を読む」という時間の使い分けを推奨していたにもかかわらず、若かった当時の自分はそんな助言に耳を貸さずに、夜にも実験や工作をしたし昼に文献を読んだりもした。翻って現在は、夜の時間はほとんどデスクワークに充てるようになった。夜に実験するのはさすがに体力的にしんどくなってきたから。
 夜にウチの職場に居る人間は、いま、自分以外にはほとんどいない。一般にフランス人は仕事より人生を楽しむことのほうを重要視するので、夕食を食べに帰ったらもう仕事のことは忘れるらしい。そんな彼らの目に深夜仕事する自分はどう映るのだろう、驚嘆や尊敬などでなくむしろ軽蔑や困惑の眼差しを投げられるのだろうか、などと時々考えたりする。が、何しろ夜には誰もいないので彼らの目に映る心配も無用なのだった。

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 昨年、文藝春秋を読んでいたら、記事中に「レゾンデートル」という言葉が使われているのを見た。「存在理由」という意味のフランス語であるのは察しがついたけれど、こんなふうにカタカナ語として使うことを不勉強にして知らなかった。なんとなく昔の知識階級が好んで使いそうな表現だな。
 この言葉が印象に残って、私は自分でも使ってみたかったのだろう。つい先日、仏人同僚と雑談している時、お決まりの「日本人はなぜあんなに一生懸命に仕事するのか」という話題になったので、ふと思いついて「日本人は仕事の中に自分のレゾンデートルを見出すのだよ」と説明してみた。すると相手の仏人同僚は「本当か!」とさも驚いた様子を見せた。やはり仏人には仕事は二の次なのだという描像を再確認した。と同時に、そこまで驚くか?とちょっと意外でもあった。