南北戦争

 出勤。新たな研究計画を考える。どんな物質を扱うかとか、測定系の構築はどうするかとか。プール。

■『風と共に去りぬ』ビクター・フレミング監督(1939 米)
 初めて見たのは 15 年ぐらい前かな。戦前(昭和 14 年)にこんなカラーの大作映画があったことにただ圧倒された。当時ベネズエラ人の留学生とこの映画の話をしたら、彼は「あの映画は本当はモノクロで、色は最近コンピュータでつけられたのだ」と主張して譲らなかった。まあそれはともかく。
 今回は2回目なので、少しは人物の感情や時代背景に思いを馳せながら観た。第一部は南北戦争で主人公たちの南部の土地が無惨な打撃を受けるまで、第二部は北部の圧政に耐えて強く生きて行く中での人間模様‥といったところ。これは戦争に負けた立場の人々の物語で、焦土と化した故郷、荒々しく踏み込んでくる勝った側の軍隊や為政者といった描写に溢れていることに今更ながら興味を引かれる。なぜなら、南部を日本に、北軍を米国に置き換えれば、昭和 20 年の日本が置かれた状況とそっくりだからだ。ハリウッドは負ける映画も作っていた。しかし戦争に負けた時から鬼と化して手段を選ばず強く生きようと決意するヒロインの姿勢は、敗戦時の日本が舞台の物語にはあまり見られず、アメリカ的な特徴が現れているように思った。ハリウッドは負けるだけの映画は作らない。
 私などは子供の頃にリンカーンの伝記に親しんだので、当時の南部は悪者という先入観がこびりついてしまっているのだが、考えてみれば 19 世紀のアメリカ南部の人々を扱った映画や小説や音楽で、今でも愛され続けているものはいくらでもある。米国人の感覚は単純な「北=善、南=悪」ではないようだ(半分は南部の人だから当たり前だが)。いまの彼らにとって南北戦争とは何なのか。
 ニヒルでキザっぽい男という印象のレット・バトラーが、実は子煩悩だったり嫉妬深かったりして、感情に支配されやすい人間臭いキャラだったことにも気づく。だがスカーレットのレットへの想いが移り変わる過程がまだよく理解できない。10 年後にまた見たら考えよう。