少数意見者迫害番組  −「どっちの料理ショー」−

 この番組については、ちょっと言いたいことがある。以下はやや批判的な文章なので、予め御了承の上でお読みいただきたい。

 最初この番組の存在を知ったとき、ああ、タレントが2つの料理を食べ比べてどっちが美味か審査して勝敗をつけるのだな(料理の鉄人のように)、と想像していた。ところが実際は、どちらが「美味しそうか」という決を取って、多数派に投票した審査員だけが料理を食べられるルールだという。わたくしは非常にびっくりしたのである。

 いったいこれはどういうポリシーなんだ? 少数意見者は損をする、という番組なのか。

 念のため繰り返すが、まずい方が負けというルールではない。実際、負けた方のシェフが「こんなに美味しいのに…」とぼやきながら1人寂しく自分の料理を食べるシーンで番組が終るのが常。当然、多数の支持を集めた方の料理が実は不味かった、などという場合もありうる(もちろん味は客観的に優劣を簡単に決められるものではないけど)。

 つまり、司会者にとっては「より審査員を煽ったほうが勝ち」なわけだな。一方審査員にとっては、利益を得る(料理にありつく)ためには「美味しい料理を選ぶ」ことよりも「大勢に付和雷同する」道を探ることになる。理解不能だ。

 実物を見ずにああだこうだ言ってもしょうがないので、1回最初から最後まで番組を見てみた。

 知ってるつもりの関口宏と、驚きももの木20世紀の三宅裕司が、料理の紹介に熱弁をふるっている。単独でも番組を持つ人気司会者を2人も擁する豪華さ。
 毎回登場する、知られざる食材はいかにも美味しそうだ。料理が進んでいくにしたがって審査員のタレントが感想を差し挟む。カット割りの細かい編集が、息もつかせぬ展開を演出する。たしかに見ていて引き込まれる。見せ方がうまい。金と手間をかけた番組だということが伝わってくる。

 しかしやっぱり、勝敗にまつわるルールには納得しかねるのである。

 最も不可解なのは、なぜ勝利者を選ばなかった審査員が、不利益を被らねばならないのかということだ。例えるなら、選挙で最多議席を獲得した政党に投票しなかった有権者は、国から福祉サービスを受ける資格を失うようなものである。こんな筋の通らない話があるだろうか。

 唐突だが、科学者と芸術家は人のやらないことをやるのが商売だ。大きい流れに逆らって自分の道を追い求めた努力家が、青色発光ダイオード七人の侍を生んだのだ。
 付和雷同を重んじるこの番組は、そういう偉大な研究や芸術を生む土壌からは最も遠い位置にいる、と言っておこう。(00. 12. 4)