コンピューターはあくまで道具です

一昨年の朝の連ドラ「天うらら」の1シーン。

舞台は1985年頃だったと思う。ちょうどパソコン(PC)が出回り始めた頃で、主人公の設計士が勤めている設計事務所にもPCが1台導入される(ちなみにそのPCの起動画面に大きく「Orange」という文字が現れていたのには笑った)。それまで手で引いていた図面を機械で作成できるということで、事務所の人々は喜んで使い始める。

ところがある時、急ぎの図面を作成している最中に、突然そのオレンジ社の(笑)PCがフリーズし、使用不能になる。頭に来た主人公は、さっさとPCを放棄すると、再び製図板とT定規を取り出し、慣れた手つきで図面を引き始めるのだ。

些細なシーンだが、共感を覚えた。
いや、マックはすぐフリーズして困る、ということにではない。
「いつの時代も、手を使える人は強い」というメッセージにである。

たしかに今、文章を書くにも図面を引くにもPCができなければダメという時代になってしまっている。しかし、コンピューターは使えるが手は使えないという状態も困るのである。なぜなら、ワープロで文章を書いている時にも、かつてその作業を自分の手と鉛筆で行なっていた時の感覚や技術が非常に役立っているからだ。手でいい仕事ができない人は、コンピューターでもいい仕事はできないと言っていい。

コンピューターも、手も、両方使えることが理想的だ。小学校でワープロを導入するのも良いが、原稿用紙に作文させる習慣も絶やさないでほしいものだ。(00. 6. 26)